怪獣の部屋
9.ゴジラ編
初代ゴジラの勇姿 |
「ゴジラの逆襲」よりグッドな1枚 |
誰もがゴジラの復活を待ち望んでた頃 |
1975年3月封切りの「メカゴジラの逆襲」を最後に、東宝は怪獣特撮映画の製作を打ち切った。そして僕らは新作「ゴジラ」の復活まで約10年間待つことになるのだが、この空白の10年が僕にとって不幸な時間だったかというと、案外そうでもなかった。いや逆に最も幸せな時間だったのかもしれない。 僕らの世代(筆者は昭和41年生まれです)は、年3回、春、夏、冬休みに”東宝チャンピオン祭り”というやつで、ゴジラの新作、旧作をごちゃまぜに観まくっていた。この”東宝チャンピオン祭り”というのは昭和44年の「オール怪獣大進撃」から始まったターゲットを完全に子供に絞った興行方式である。年3本のうち、1本が新作であと2本はリバイバルで間に合わせたゴジラ作品を柱に、4〜5本のTV番組をくっつけて構成されていた。僕より一世代上の人達には、ゴジラを幼児番組におとしめたものとしてあまり評判がよろしくないんだけど、僕らにとっては”東宝チャンピオン祭り”は娯楽のまさにチャンピオン、一大イベントだったんだ。TVではウルトラマンやセブンを夕方繰り返し再放送し、ゴールデンタイムには”帰ってきたウルトラマン”と”スペクトルマン”を皮切りに次々と特撮怪獣ものがブレイクしていた。いわゆる第2次怪獣ブームである。 幼児〜小学校時代にこれらの洗礼をうけた僕は、ブームの終息とともに少し大人になって怪獣との別れの気配を感じていた。 |
東宝怪獣映画興行年表(新作、リバイバル共) |
西暦 | 昭和 | 春休み | 夏休み | 冬休み |
1966 | 41 | 南海の大決闘 | ||
1967 | 42 | キングコングの逆襲 | ゴジラの息子 | |
1968 | 43 | 怪獣総進撃 | ||
1969 | 44 | オール怪獣大進撃 | ||
1970 | 45 | キングコング対ゴジラ | 決戦!南海の大怪獣 | モスラ対ゴジラ |
1971 | 46 | 怪獣大戦争 | ゴジラ対ヘドラ | 地球最大の決戦 |
1972 | 47 | ゴジラ対ガイガン | 南海の大決闘 | ゴジラ電撃大作戦 |
1973 | 48 | ゴジラ対メガロ | ゴジラの息子 | キングコングの逆襲 |
1974 | 49 | ゴジラ対メカゴジラ | モスラ | |
1975 | 50 | メカゴジラの逆襲 | ||
1976 | 51 | |||
1977 | 52 | キングコング対ゴジラ | ||
1978 | 53 | 地球防衛軍 | ||
1979 | 54 | ゴジラ映画大全集 | ||
1980 | 55 | モスラ対ゴジラ | ||
1981 | 56 | |||
1982 | 57 | |||
1983 | 58 | ゴジラ復活フェスティバル | ||
1984 | 59 | 新作ゴジラ |
この年表を見てもらえばわかるように、昭和45年から50年ごろは怪獣少年たちにとって黄金時代でした。
「ゴジラの新作ができるらしい」 こんな噂は何度となく広がっては消えた。たしか日米合作の話もあったぞ。そんなこんなの空白の10年間、ゴジラはだんだん伝説となり神格化されていった。僕らは自分が成長し多くを理解するにつれ、ゴジラを幼児化しスクリーンから追い出したのは自分たちのせいじゃなかったのかと思い始めるようになった。各地でゴジラ作品の自主上映などがはじまり、それは徐々に大きなムーヴメントとなって昭和59年のゴジラ復活へと続いていったんだ。 ゴジラ復活の約1年半前、”ゴジラ復活フェスティバル”というイベント興行があった。最上段の右の写真がそのポスターです。僕はこのとき、見逃していた東宝特撮作品をだいたいカヴァーすることができた。凄いでしょこの豪華ラインナップ。これを2本づつ毎週観にいったね。となりの街まで。ゴジラのグッズや本が出始めたのもこのころ。新作への膨張する期待と過去へのノスタルジー、そして情報とグッズの充実。ファンが最も幸せだったというのはそういう意味です。 |
しかしゴジラの顔もありますね、いろいろ。みなさんはどの顔に一番思い入れがあるんでしょうか。ぼくはやはりなんといってもキンゴジです。 |
(2000/1)