怪獣の部屋

35.実在の怪獣編6

 今回は、ちょいとシリアスにいきやしょう。
1937年7月、カナダ・ネイデン港にて撮影。海竜キャディではないかとも言われているこの怪生物は、クジラの解体作業中に胃の中から半分消化された状態で出てきたという。シカゴ・フィールド博物館に送られたとされているが、輸送途中で行方不明になっている。 同左のスケッチ。海洋生物学者ポール・レブロンド博士の見解は”青年期のキャディではないか”とのことである。さてその正体は・・?体長約4m、そして地球上に存在する他のどんな生物にも似てません。ちょっと鳥肌。 大ウミヘビに襲われて逃げ惑う水夫たちを描いた18世紀の銅版画。当時の水夫たちが最も恐れたものは、幽霊船とこのシーサーペントだったという。
 1809年9月8日付「タイムズ」紙に次のような寄稿文が掲載された。寄稿者はスコットランドの北岸サルソーで校長をしていたウィリアム・マンロー氏である。以下その抜粋。

 −12年ほど前、私がレイ教区で小学校の校長をしていたころ、サンドサイド湾ぞいにいつもの散歩をしていたときのことです。なんとなく岬のほうまで足をのばしたところ、海につきだした岩の上に、裸の女性らしきものが座って、肩に流れる髪をとかしているのに目をひかれました。あかるい茶色の髪でした。丸い額、ふくよかな顔、赤らんだ頬、青い目、口も唇もごく自然で、人間そっくりでした。手の動きからみて、指には水かきはなかったようですが、この点についてはあまり自信がありません。それは、私が気がついてからも3、4分ほど岩にとどまり、長くふさふさした髪を誇らしげにとかしていましたが、やがて海に飛び込み、それっきり姿を消してしまいました。(中略)これまでほとんどの博物学者から疑問視されてきた生物が現存することを証明するためにも、以上のことが何らかの助けになればご自由にお役立てください。−

 このとてもロマンチックな目撃談は、僕らが幼い頃童話などで慣れ親しんだ人魚のイメージそのものである。現代社会の中で、このような人魚の存在を信じている方は、今ではおそらくほとんどいらっしゃらないだろう。しかし、約200年前の欧州では、このような目撃談が権威ある新聞に掲載される程度には、まだ実在の可能性の残されたUMAだったんだ。とはいっても、それは伝説や風評レベルでのお話で、当時の識者たちの中に、もう人魚の存在を本気で信じる者はいなかった。ではこのマンロー氏の寄稿文は、一体なにを意味しているのだろうか。氏は白日夢をみたのか、それとも一世一代の大ぼらを吹いたのか・・。それまで築き上げてきた名誉を犠牲にして?答えは恐らく、どちらも・・・否である。

シーサーペント目撃史上最も有名な英海軍ディーダラス号事件。1848年8月6日・セント・ヘレナ島沖合いにて。 スイスの博物学者コンラート・ゲスナー(1516-65)著「動物誌」の中の大海蛇。船に巻きついてなお余りあるこの巨体!血が沸き立ちますねえ。 1817年8月、アメリカ東部マサチューセッツ州の港町グロスターにて、体長15〜20mの大海蛇が相次いで目撃された。この図は当時、大海蛇の赤ちゃんと信じられ、学会を賑わせたものであるが、実はただの黒へびだった。
 シーサーペント、ネス湖の怪獣、チャンプにオゴポゴ、モーゴウル、モケレ・ムベンベに雪男、ビッグフット、そして野人・・。世界中で目撃され、実在の可能性が問われてきたこれらの未確認生物の数々であるが、その調査は遅々として進まない。でも、この間にもこいつらは多くの人々に目撃され、写真に撮られ、新たな真偽論争を巻き起こし続けるのである。懐疑論者の攻撃材料は多い。例えばネス湖の怪獣の場合、「このような大型水棲獣が種の存続を可能にするには、ネス湖はあまりにも小さすぎる」というのが彼らの主張である。これは多くの動物学者が支持する否定論の根拠になっている。ちなみにネス湖は幅約1.5km、延長約35kmで、その規模は琵琶湖の約10分の1程度である。さらにネス湖よりもずっと小さな湖沼での怪獣目撃報告も後を絶たない。こういった根拠を突き付けられた時、僕らはこれをひっくり返すだけの理論も知識もなく、ただただ無口君になってしまうか、バカのふりをすることになる。(ネス湖は海に通じているという逃げ道もあるにはあるが・・)僕らのすがるものはといえば、その膨大な目撃談と証拠写真のみであるが、僕にはそれらの全てが見間違えや錯覚、あるいは捏造やトリックだとはどうしても思えないんだ。

 ネス湖にほど近いスコットランドやアイルランドの湖沼には、古くから怪獣の伝説や目撃談が数多く報じられてきた。アイルランドの西部に位置するコニマラ湖沼地帯もそのひとつで、地元の人々は、いくつかの湖に”コニマラのペイステ(水馬)”が棲むと信じている。1954年、クリフデンに住むG・カーベリー嬢とその友人3人が、巨大な海蛇のような姿をした怪獣を、わずか20ヤードの距離から目撃するという事件が起こった。彼女らはこの事件に強いショックを受け、数週間もの間、怪物に追われる悪夢に悩まされ続けた。またそのうちの一人は精神科の治療を受けなければならなかったという。コニマラ湖沼地帯を何年もかけて調査した王室地理学会員R・レスリー大尉(W・チャーチルの従兄弟なんだって)は、ペイステについての膨大な数にのぼる目撃談を収集したが、その内容もさることながら、大尉はもうひとつの頭をかかえる問題にぶつかることになった。湖の大きさである。先のカーベリー嬢らが怪獣を目撃した”ファダ湖”の延長は、わずか800mに過ぎなかった。さらに証言の中には、全長100mにも満たない、”湖”というよりは”池”と呼んだほうがよさそうな場所での目撃談も含まれていたのである。しかし、大尉はペイステの存在を確信していた。なぜなら、彼もまた1965年10月に信じられない生物を目の当たりにした目撃者のひとりだったからである。

 常識で考えると、このような水棲獣の存在の確率は限りなくゼロに近い。彼らが何を常食とするにしても、おそらく数日で湖のエサは底をついてしまうだろう。ましてやその種を存続させ続けるには、1頭のみということはあり得ない。少なくとも数十頭、いや数百の単位は欲しいところだ。じゃあ全長数十メートルの湖での目撃談とはいったい・・。海や大河での未知種の巨大生物の存在については、十分に新発見の可能性は残されている。しかし、これらの小さな湖沼の怪獣については、僕らは、どうやら別のアプローチが必要なようだ。

旧約聖書・イザヤ書、ヨブ記あるいはミルトンの失楽園などにたびたび登場する大海竜がこれ、レビヤタン!(英語読みはリヴァイアサン)さてこれの基になった生物とは? 18世紀末にフランスで出版されたドゥニ・ド・モンフォールの「軟体動物誌」に描かれたクラーケン。これ以来欧州ではクラーケン=「深海に棲む大ダコ」のイメージが定着した。 ネッシーの写真の中でも最も信頼度の高いものがこれ。ボストン応用科学アカデミーのロバート・ラインズ博士らの調査隊が水中カメラで撮影した中の衝撃の1枚。(1975/6) 米・ロードアイランド州ブロック島沖で漁師の網に掛かった奇妙な骨。全長4.2m小さな頭蓋骨にはポッカリと眼窩があき、ヒゲのようなものが生えていたという。(1996/9) 太古白亜紀の海に棲息していた巨大ガメ”アーケロン”。その体長はなんと4m!北米近海で度々目撃される体長5〜6mもあるという大海ガメは、はたしてアーケロンの生き残りか?それともアーケロンの末裔といわれるオサガメ(2〜3m)の大物なのか・・。
 話は少しそれるが、ここで”空飛ぶ円盤騒ぎ”について少々触れてみたい。僕らがイメージする円盤はTVや映画でのイメージの影響もあるが、おおむね統一されている。それは現代科学では造れないが、数十年後には我々でもなんとか実現しそうな雰囲気ではないだろうか。そしてそれは紛れもなく多くの人々の目撃情報に基づくものである。では、昔っから”この形”かというと、実はそうではない。18世紀以前には、なんとそれは・・帆船の形だったんだ!。

 空飛ぶ帆船の目撃は、古くは9世紀にまでさかのぼる。リヨンの大司教アゴバールは、4人の囚人を護送してきた群集に出会った。彼らの話によると、4人が空飛ぶ船から地上に降りてきたところを捕まえたのだという。もちろん大司教は信じなかったが・・。また西暦956年には、アイルランドのクロエラの教会の屋根に、空飛ぶ船の錨(!)が引っ掛かったときの模様が伝えられている。比較的新しいものでは、1743年、英国のウェールズ地方の北西にあるアングルス島の農夫による、雲間を漂う帆船の目撃報告がある。彼の話によると、帆船の排水量は約90t、蜃気楼などではない証拠に船底の中央の竜骨がはっきりと見えたという。この千数百年に及ぶ、”空の不思議”すなわち”空飛ぶ帆船”という時代は、やがて終わりをつげる。続く19世紀に欧州の上空に出現したのは、”飛行船”であった。

 飛行船目撃事件の最も有名なものは、1896年から翌年にかけて全米を大混乱に陥れたウェーブ(集中目撃)である。報告の大部分は中西部とテキサス州であったが、最盛期にはアイオワ、ミシガン、ワシントンの各州の上空で、葉巻型の有翼の飛行物体が、なんと数千人の規模で目撃されたのだ。当時、操縦可能な飛行船は、米国はおろか、最も技術の進んだ欧州諸国ですら、まだ飛んでいない。F・ツェッペリン博士の硬式飛行船の初飛行は、1900年7月2日のことである。米国の飛行船事件は1年足らずで下火になったものの、その後カナダ、スウェーデン、ノルウェー、ロシアなどで、次々と謎の飛行船の目撃が報告されはじめた。さらにこの謎の飛行船騒動は、1909年の英国に上陸する。その目撃報告は、わずか数ヶ月の間に英国全土に及び、政府はあまりの事態に飛行船撃墜用の高射砲を製作するまでに至っている。当時イギリスの敵国であり、最先端の航空技術を誇っていたドイツの偵察機では?という可能性も完全には否定できない。しかし1909年のドイツの飛行可能な飛行船はわずか3機で、当然英仏海峡を渡るような長距離飛行も、いくつかの報告にみられるような高速飛行の性能も、持ってはいなかった。

 1937年5月6日の、飛行船「ヒンデルブルグ号」炎上事故を分岐点に、空の主役は飛行船から飛行機の時代へと突入する。これ以降の空の不思議は、皆さんもご存じのとおり、そう、”UFO”の登場だ。1947年6月24日 アメリカの実業家ケネス・アーノルド氏が、ワシントン州レーニア山付近で、9つの空飛ぶ円盤を目撃したのを皮切りに、以後、空飛ぶ円盤の目撃が、全世界で続発することになるのである。

英国の博物学者ピーター・スコット卿によるネッシーの想像図。科学誌”ネイチャー”に、その学名「ネッシテラス・ロンボプテリクス」(菱形のヒレを持つネス湖の怪獣)とともに掲載され話題を呼んだ。ネス湖の怪獣の正体をプレシオサウルスの生き残りとしたポピュラーなもの。 1734年4月7日ノルウェーの大司教ハンス・エゲデの目撃した大海蛇の図。当時最も信頼のおける聖職者の証言に、人々は大きな衝撃を受けた。 南極観測船「宗谷」の松本船長ら4人が南極で目撃した怪獣の図。推定体長15m、全身褐色の毛に覆われ、頭部には耳が確認されたという・・。わ、笑うなよ。 1746年8月ベルゲンの海軍司令官ローレンツ・フォン・フェリー総督とその部下全員が、ノルウェー海岸に面するトロンヘイムとモルデの間で遭遇したという大ウミヘビ。全身は灰色がかった色をしており、馬に似た頭部に大きな口、そして水面まで垂れ下がった白い頬髭(!)が確認されたという。フェリー総督らはしばらく追跡し、銃撃して捕らえようとしたが失敗に終わった。
 現代の”空飛ぶ円盤”も、19世紀末の”謎の飛行船”も、18世紀以前の”空飛ぶ帆船”も、それは確かに存在する。目撃者の全員が嘘をついているのでないかぎりは・・。ただ、ここで僕の言う「存在する」とは、目の前に”机”や”灰皿”が存在する、という次元での”存在”とは多少意味が違う。それは、「1」か「0」か、というデジタルな世界とは少々趣を異にする、物質的実在の次元と心理的な次元のちょうど中間あたりに位置付けるのがいいのかもしれない。

 ここでひとつ実験をしてみよう。ちょいと目をつぶってみてほしい。さあ何が起こりましたか?そう、何も起こらない。正解。ただ目を閉じているあなたと、いつもどおりの日常が存在しているだけだ。ところがインド哲学では少々事情が違ってくる。あなたが目を閉じた瞬間に、なんと世界は消滅するのだ。つまりこうだ。世界とは、あなたに認識された時点ではじめてその存在理由が発生する。もしそれを認識する存在がない場合、この世は存在しようがしまいが何の意味も持たない・・と、まあこういう訳だ。これはよお〜っく考えると非常に深い意味を持つような気が、僕は、する。

 例えば、あなたが散歩途中の近所の池で、プレシオサウルスが泳いでいるのを見てしまったとしよう。しかし病院へ駆込むのはまだ早い。あなたのそばにいる別の人も、その”何か”を食い入るように見つめているかもしれない。ただ、ここで気をつけなくてはいけないのは、「この池にはプレシオサウルスが棲んでいる!」などとは口走ってはならないということだ。なぜならそれは、”誰か”の思念が、池の白鳥の形を別の”何か”に変えてしまったものかもしれないし、あるいは一億年前の遠い過去の映像を、この場所に甦らせただけなのかもしれない。この場合の”事実”とは、「あなたがこの池でプレシオサウルスを見た」ということだけである。

1972年8月フランク・サール氏撮影のネス湖の怪獣。彼はその撮影に執念を燃やし、湖畔で約3年間暮らしたんだって。いいのが撮れてよかったっす。 ネッシー最新作、1996年8月オースティン・ヘップバーン氏撮影。ドレス村にて。 この年は活動的だったようです。1996年8月フランク・ウィルソン氏撮影。インバーモリストン村にて。
 先日、あるTV番組を観ていたら、某タレントがこんなことを言ってた。「私、霊感が強いんですよぉ。で、結構幽霊とかUFOとか見えちゃうんです」 この人は、どうやら直感で”幽霊”と”UFO”が同次元の存在であることに気づいているらしい。僕の所蔵する「図説 未確認生物事典」という本の帯に、まんが家水木しげる氏によるとても興味深い推薦文が掲載されている。今回はこれを紹介して締めくくることにしましょう。

 「”それ”は、いないのかもしれない。なにしろ”人間の五感”は凡てを知るように出来ていないから、なかなかつかみにくいのだ。」

(2001/9)