怪獣の部屋
19.大映SF&スペクタクル編
1956/1公開 |
1964年公開予定だった「大群獣ネズラ」 |
1961/11公開 |
1952/4公開 |
「おまえはドジでのろまなカメだ!」「はいっ、私はドジでのろまなカメです!」日本中に衝撃が走った。いったい何がおこってるんだ。 大映が倒産したとき、当時の大映のテレビ製作部門であった大映テレビ室は、大映テレビ株式会社として独立した。この大映テレビは、百恵ちゃんの”赤い疑惑”でヒットを飛ばし、その勢いで延々と”赤いシリーズ”を作りつづけることになる。”疑惑”の頃は、誰も気づかなかったんだけど、シリーズを重ねるうちに、みんな少しずつ「なんかちょっとおかしい・・」と思い始めるようになった。そしてこれを誰もが確信したのが、堀ちえみの”スチュワーデス物語”だったのである。 大映は、徳間書店の徳間康快社長によって再建され、現在に至るわけであるが、この新生大映の作風を観る限り、旧大映とはまったくの別会社であることは明らかだ。むしろ、旧大映の精神を受け継いだのは、大映テレビのほうだったのである。大映に限らず、60年代後半から70年代には、映画産業全体が低迷し、多くの有能な人材がテレビに流れた。これらの映画畑で育った映像作家達は、最初からテレビで育った人達とは明らかに違う”ズレ”があった。この”ズレ”を時代に合わせて修正できる器用な人もいたが、大映テレビにはそれができなかった。 ”スチュワーデス物語”は助走にすぎなかった。その後、大映テレビは”不良少女と呼ばれて”、”乳兄弟”、”ポニーテールは振り向かない”と、快調に暴走を続ける。芥川隆行の説得力溢れるナレーションと、現実離れした世界観、そしてこれをギャグとしてではなく大まじめにやってしまった大映テレビの作品群に、当時、笑っていいのかなんだか分からず、テレビの前に釘付けになってしまった、という人がたくさんいることでしょう。 |
1958/10公開 |
再建後の特撮第一弾「首都消失」より。 このスチールでだまされた。 |
1987/1公開 |
大映は、邦画としては珍しくスペクタクル部門に力を入れていた時期があった。昭和33年の「日蓮と蒙古大襲来」、36年の日本初の70ミリ超大作「釈迦」、37年の「秦・始皇帝」などである。これらにふんだんに使われた特撮が、後のガメラや大魔神に活かされることになる。ハリウッドが世界に誇るスペクタクル超大作「十戒」や「ベン・ハー」と対等に張り合っていた大映の社風に、僕はちょっと痺れてしまうんだ。 大映は自社製作と同時に、洋画の配給にも積極的だった。昭和27年に「キングコング」をリバイバル公開するが、これは戦後日本初のモンスター映画公開となる。次いで昭和29年にはハリーハウゼンの「原子怪獣現わる」を配給し、同年の東宝「ゴジラ」に多大な影響を与えることになる。そして昭和31年には日本初のカラーSF「宇宙人東京に現わる」を製作する。岡本太郎デザインで有名なあのパイラ星人が出てくるやつだ。この映画、ストーリーや特撮は素晴らしいんだけど、このヒトデ型のパイラ星人を初めて観たときは、誰もがしばし放心した。凄いんだか、笑っていいんだか分からないのであった。 当時の人達はパイラ星人をどのように受けとめたのだろうか。これを推測するのは簡単だ。ギンギラギンの不良ルック(!)の伊藤麻衣子が唐突に日本舞踊を踊り出す姿を、あるいはドラムスティックを武器に(!)けんかをしながらバンドを結成していく伊藤かずえの姿を思い出せばいい。あまりの真剣さと迫力に、その冗談のようなシチュエーションを誰も笑えなかったはずだ。そう、そして、この真剣さと迫力こそが旧大映の社風だったのである。(ほんとかぁ) |
1962/1公開 |
1962/7公開 「鯨神」より |
1950/8公開 |
1963/7公開 |
(2000/6)