怪獣の部屋
15.実在の怪獣編3
山形県朝日村大鳥池に棲むというタキタロウ。写真は調査団によって捕らえられた謎の魚。 | タキタロウではないかといわれている魚拓(朝日村山村開発センターに展示)。1965年10月大滝貞吉氏によって捕獲されたもの。焼いて食べたところ、とてもおいしかったという。 | 朝日連峰の以東岳から望む大鳥池の全容。磐梯朝日国立公園内に位置する。周囲3.2キロ、最大水深68メートル。車でのアクセス不可能! |
日本の代表的な未確認動物のひとつに、山形県東田川郡朝日村・大鳥池の”タキタロウ”がある。地元の人達の間では古くからその存在は信じられていたらしいのだが、1982年のある目撃事件をきっかけに、全国にその名を知らしめることとなった。以下その目撃談。 1982年7月19日、朝日連峰の以東岳を登山中の一行が、大鳥池の全容が一望できる見晴らしの良い場所で一服しているところであった。一行とは地質学者の五百沢智也氏、朝日村役場勤務の小野寺一郎氏、山形市の自然保護運動家松田健蔵氏、そして大鳥池の麓で朝日屋旅館を経営する佐藤征勝氏の4人である。まず最初に見つけたのは五百沢氏だった。「何だあれは」 他の3人がその視線の先を見ると、数個の黒い物体が浮き沈みしているのがはっきりと見えた。双眼鏡を覗き込んだ小野寺氏は、一瞬我が目を疑った。その黒い物体は巨大な魚だったのだ。水面に出ている部分だけでも1mはあろうか。10匹ほどの全長3〜4mの巨大な魚影は、しばらく見え隠れしていたが、やがて湖中に消えていった。まさにそれは伝説の”タキタロウ”の姿に他ならなかったのだ。 このニュースはすぐに広がり、テレビ局なども参加して、何度か大規模な調査が行われた。過去の目撃談や写真なども次々と取り上げられ、”タキタロウ騒動”は、その後数年間続くことになる。古いものでは、1917年大鳥池の水門調査が行われていたころ、体長1.5mほどの正体不明の巨大魚が捕獲されたという記録が残っている。どの記録にも共通して記述されているのは、その恐ろしい顔つきについてである。”顔つきの怖い魚”と聞いて思い浮かぶのは、シーラカンスやピラルク、中国の鰉魚などの化石魚(古代魚の生き残り)であるが、果たしてタキタロウも、こういった化石魚の一種なのか?あと記録に共通して述べられていることがもうひとつ。なんとタキタロウは、焼いて食べると脂がのってとてもおいしかったそうである。(食べちゃったのね) |
1983年9月17日山形新聞。調査団の魚群探知機に、2メートルの魚影が確認された。 | 徳島県剣山の大蛇騒動の中、地元の旧家から発見された大蛇の頭骨。(1973年6月27日付朝日新聞より)口の大きさなんと34センチ! | 1987年8月22日読売新聞。新潟県糸魚川市「高浪の池」での怪魚目撃を報じたもの。 |
同じ山形県西村山郡朝日町の大沼には、畳1枚ほどもあるという巨ゴイが目撃されている。また、新潟県糸魚川市の南20キロにある高浪の池では、古くから池の主が棲んでいるという言い伝えがあるが、実際に3mほどの魚影を見たという人が後を絶たない。魚類や爬虫類は死ぬまで大きくなり続けるっていうからね。きっといるんでしょう。強烈な奴が。誰か捕まえて下さい。(食べないでね) 日本の未確認動物の中で僕がしびれるのがもうひとつ。それは四国、徳島県の霊峰”剣山”で度々目撃されるという大蛇である。胴回りが人間ほどもあったとか、長さは15mもあったとか、脂がのっておいしかったとか、いろんな目撃談が後を絶たないこの大蛇。ほんとにいたら凄いね。ところで広島のヒバゴンや、一時ブームになったツチノコは、最近おとなしいけどどうしたのかな。また出てきてくれよう。(食べないから) 獣人系の未確認動物というのも、研究者の多い分野である。ヒマラヤのイエティ、北米のサスカッチやビッグフット、中国湖北省の野人などが代表的なものだが、それ以外にもオーストラリアのヨーウィー、旧ソ連で密かに調査・捕獲されていたという噂のアルマス、南米ベネズエラのモノスなど、世界中にうじゃうじゃいる。 |
ベネズエラ奥地の獣人モノス。1929年スイスの地理学者F・D・ロイス氏撮影 | 世界初のイエティ(中央の黒い影)の写真。1986年3月、イギリス人アンソニー・B・ウールドリッジ氏撮影。 | 1951年11月イギリスの登山家エリック・シプトン氏が撮影したイエティの足跡。長さ45センチ、幅32センチ |
1999年5月1日、英国の登山家ジョージ・マロリーの遺体がヒマラヤ山頂近くで発見された。遭難から実に75年後のことである。彼は麻雀の席で、「なぜ自模(ツモ)る?」との問いに「そこに山があるから」と答えたことで有名である。1924年6月8日、彼はヒマラヤ遠征隊の第二次アタック隊として山頂を目指し、山頂を覆う雲の中に消え、消息を絶った。果たして彼は初登頂に成功していたのか?しかしこの登山史上最大のミステリーは、遺体の発見によっても解決することはなかった。だが、彼にはもうひとつの知られざるミステリーがあったのだったのであった!。 G・マロリーが遭難したのは、英国山岳会が派遣した第三次遠征隊でのことである。北極点、南極点への到達で、ことごとく他国に先を越された英国は、世界最高峰だけは一番乗りを果たそうと、大英帝国の威信を賭けて、ヒマラヤに多くの遠征隊を送り込んでいた。G・マロリーは、この一次遠征隊からのすべての遠征に参加していたが、この一次遠征隊というのが、なんと初めてイエティと遭遇した欧米人集団だったのである。記録によると、ハワード・ペリー中佐を隊長とする一次遠征隊の全員が、標高5000メートル付近の尾根で雪男らしい生き物を目撃した、とある。ということは果たしてマロリーもイエティを見たのか?しかし登山史上最大ではないこのミステリーは、筆者以外に誰も気にする者はいなかったという。 |
イエティの頭皮といわれる毛皮。過去に捕獲されたことがあるのか?イエティごっこのヅラか?謎は深まる・・。 | 中国湖北省親農架の野人。写真は1957年村人に殺されたときの手の標本。ちょっとかわいそう。 | オーストラリアで古くから目撃の多発するヨーウィー。1980年8月、K・ブリューワ氏が撮影したこれが唯一の写真。(後向きだよ) |
(2000/4)